article_image
Column

小杉湯を変えた1枚の絵。奇跡の出会いは突然に|わたしに読む交換日記

SHARE:
URLをコピーしました

2016年10月10日。
僕は36歳のときに、家業である小杉湯を継ぐ覚悟を決めた。

「なぜ小杉湯を継ぐ決心をしたのか?」

小杉湯で働くようになってから、一番もらう質問だ。

理由を話し始めると長いので割愛をするが、「36年かけて、36歳という年齢で、ようやく覚悟を決めることができた」ということは言える。

歴史のある家業の長男という、まるで歌舞伎の世界のように「決められた未来」のある立場に、時には背を向け、時には反発したこともあった。それでも楽しそうに働いている両親の姿や、小杉湯を愛してくれているお客さんの顔を見るたびに、「やっぱり自分がやらないといけないんだよな」と思い返す。

そんなことを何度も繰り返してきた。



家業って駅伝みたいなものだよな、と思っている。

30歳で株式会社ウィルフォワードというベンチャーの創業メンバーとして、ゼロからイチを経験した頃にそう思い始めた。ベンチャーは100m走で、家業は駅伝のようにタスキを繋いでいくものだと。

小杉湯は、第1走者と第2走者がそれぞれ自己ベストの走りをしてきた人だから、「自分がタスキを受け取らないのはかっこ悪い、自分がベストを出せないのはダサい」というプレッシャーと重圧を、自分で自分にかけていたように思う。

小杉湯でやることは、僕が30代までにやってきたことの集大成を注ぎ込む場、人生の最後の挑戦がいよいよはじまるんだ、と思った。

36歳でそんなの大袈裟だよって思われるかもしれない。でも小杉湯の事業継承は、それだけ重たいことだった。僕にとっては、大きな壁を乗り越えて抱いた覚悟だった。



そんな覚悟と決断が重なった2016年10月は、ちょうどリオデジャネイロオリンピックの閉会式が終わり、2020年の東京オリンピックに向けて、日本全体にポジティブで前向きな空気感が漂っていた時期。

小杉湯を継ぐ覚悟を決めた10月10日は「銭湯の日」で、長女の誕生日でもある。いまになって思い返せば、そんなタイミングだったからこそ、今の小杉湯にとって、そしてこれからの小杉湯にとっての重要な出会いを、一気に引き寄せられたんだと思う。

この3月にオープンした「小杉湯となり」を企画・運営をしている、株式会社銭湯ぐらしの中心メンバーと出会ったのもこの時だ。

そして塩谷歩波との出会いもこの時だった。



未来の4代目、5代目へと小杉湯を繋いでいくために、僕はタスキを受け取る覚悟を決めた。そしてそのために、人生の集大成としてやろうと決めていたことがある。それが「小杉湯のファンづくり」だ。

新卒で入社したスウェーデンハウス株式会社で、入社4年目で全国1位の成績を取らせていただき、それ以降も営業として成果を出すことができていた僕には一つ悩みがあった。

それは「平松のやり方は真似できないので参考にしないほうがいい」とまで言われたこともある”直感と嗅覚”のようなもので、同じ商品を営業しているにも関わらず、売れる人と売れない人が出てしまうことを、当時の僕は説明できなかった。

当時は30歳になったタイミングで、相も変わらず小杉湯をどうするかについて心のどこかで悩みながら、社会人としてのタイムリミットが迫っていること、さらなる挑戦がしたいこと、そして説明できない自分の直感と嗅覚を言葉にすべく、転職することを決めた。

近い将来に家業を継ぐ人間を採用してくれる企業が思い浮かばなかったから、とにかくいろんな人に会い、そして、のちのウィルフォワードの創業者に出会うことになる。同い年なのに、自分よりも圧倒的に優秀だと思える彼が起業をすると聞いて、一緒にウィルフォワードを創業することをすぐに決めた。

そこで最初に事業化に挑戦したのが「企業のファンづくり支援」だ。



彼と事業の話をするなかで、僕が営業で成果を出せたのは、お客さまとより深い関係、家族と思えるような関係を築いていくことで、多くのファンをつくっていたからだと気がついた。

そのファンづくりを支えていたのが例の直感と嗅覚で、僕たちはこれを体系化し、企業に伝えていく事業を始めた。

ファンづくりの方法はいろいろあるけれど、最終的にその答えは本当にシンプルな話で「愛」だと思う(その時の愛の定義は「お互いのために見返りを求めずに与えあう家族のような関係」としていた)。

例えば僕が関わらせてもらった企業に、「部下が会社のことを考えてくれないと悩んでいる上司」と「自分のことを見てくれてない不満を持つ部下」がいた。でも、両者はずっとすれ違っていただけ。

だから心の中に抱いている感情を共有すると、「実は部下は会社のことを考えてくれてるんだ」「実は上司は自分たちを見てくれてるんだ」と気がつく。そしてチームや会社のことをより好きになる。そんな光景を何度も見てきた。

もちろんこれがすべてではないが、僕がどんな人にでも「愛」があると信じられるようになったのは、この経験があるからだ。

お互いの「愛」が見えるよう可視化すること(僕たちは「潜在愛を形にする」と呼んでいた)で、企業の内側にいる社員が会社のことを好きになる。それがじわじわと外側に広がって、顧客に伝わり、ファンになってくれる。それをインサイドアウト理論で説明しながら、事業として展開していった。

新卒時代は説明できなかった直感と嗅覚を言語化してから、小杉湯を継ぐことになる2016年までの5年間は、「どうすればファンをつくれるのか?」のPDCAを実践で回しまくった。



ちなみに、小杉湯は昭和8年から祖父母と両親が愛を注ぎ続け、お客様や地域の方たちから愛され続けてきた、もともとファンの多い銭湯だ。

だから、そこから更に潜在化している愛を形にして、小杉湯の内側から愛を広げていくことで、「究極のファンづくり」ができるんじゃないかと思った。

これまでの経験の集大成として、小杉湯で究極のファンづくりに挑戦することで、小杉湯を50年後も100年後も続く銭湯にすることができると思っていた。

そしてこの愛を形にして伝えるためには、クリエイティブの力が必要だ。

そう思ったし、その方法はWEBや映像ではなく、もっとアナログ的なデザインやイラストが合っているとも思った。加えて銭湯に強い想い入れがなきゃできないし、小杉湯の思いに寄り添ってくれて、自分の思いに寄り添ってくれて、その愛を形にしてくれる人じゃないと難しい。

でも、そんな人に出会えるなんて奇跡だ。まだまだ先の未来の話だろう。そんな出会いを引き寄せられるよう、小杉湯の経営を一日一日、愛情を持って頑張っていこう。小杉湯の仕事を丁寧に覚えて、これまで小杉湯のことを支えて下さったスタッフの方とコミュニケーションを取っていき、両親や家族と話をしていきながら、小杉湯のお客様から少しづつ信頼を得ていこう。

そう自分に言い聞かせながら、ベンチャーのスピード感に馴染んだ感覚を抑えつけようとしていた。



2016年12月2日、「東京銭湯 -TOKYO SENTO -」の記事で、銭湯図解シリーズと紹介された絵を見た時に、雷に打たれたような衝撃を覚え「これだっ!!!」とすぐに思い立ち、イラストの作者に連絡した。

すぐに返信がきて、僕が小杉湯で働き始めてすぐに取材してくれたライターのヨッピーさんの記事を読んでくれていて、小杉湯はいつか行きたい銭湯だったと話してくれた(小杉湯が交互浴の聖地と呼ばれるきっかけになった、自分にとっても、小杉湯にとっても大切な記事だ)。

やり取りをしていくうちに、本職は建築の設計で、銭湯図解の絵は、仕事で描くパースの応用だという。スウェーデンハウス時代に、担当の設計士さんが描いてくれた手書きの図面が好きだったことを思い出して、なんだか懐かしさを覚えた。

絵を見た時の衝撃と熱いやり取りが重なって、「案外早いタイミングで出会えるかもしれない」と直感と嗅覚が訴えていた。

会ったら、自分のこれからの想いをぶつけて、小杉湯の図解を描いてもらおう。小杉湯の外観も描いてもらって、その絵を中心に小杉湯のパンフレットをつくってもらおう。小杉湯ファンの方たちが、家の中でも小杉湯を感じられるような、気持ちがあったかくなるような、自分の友達に、小杉湯のことを自慢しながら話すきっかけになるようなものにしたい。

まだ会ったこともないのに、僕の気持ちはすでに強くなっていた。

それに。

「きっと、平松さんの理想のお手伝いができると思います。お会いできる時には、平松さんの夢のお話をたくさん伺えると嬉しいです」

いま読み返してみても、よくここまで言い切れるなと笑ってしまう。

5日後に設定した打合せが楽しみだったことを、よく覚えている。



2016年12月7日、小杉湯の待合室で初めて会った彼女は、東京銭湯の記事に掲載されていた自作のTシャツを着ていて、ちょっと笑ってしまった。

設計事務所で働いているが、体調を崩してしまい休職していること。その後、銭湯に出会えたことで心も体も救われたこと。だから銭湯に恩返しがしたいと思って、銭湯図解シリーズを描いていること。

話を聞けば聞くほど、銭湯への強い想いと深い愛で溢れていることがわかった。一度好きになったらとことん突き詰めていくオタク気質、マニア気質も含めて、イメージしていた理想の人に出会えたと確信した。

すぐにパンフレットの制作をお願いをして、報酬もその場で決めた。本人もお願いされたことをすごく喜んでくれて、そのまま制作の打合せを始めた。

銭湯のこと、小杉湯のこと、これからの自分の想いを聞いてもらった。これまでの人生の集大成であり、人生最後の挑戦であること。小杉湯で究極のファンづくりがしたいこと。潜在化している愛を形にしたいこと。小杉湯の内側から愛を広げていきたいこと。そのためにはクリエイティブの力が必要なこと。

初めて会った人に、よくもここまで熱苦しく話ができたものだ。でも、彼女は僕の強い想いに寄り添って、話を聞いてくれた。

それにその強い想いを受け止めながらも、アイデアを抽象化してくれて、そこから具体的な考えを自分の言葉できちんと伝えてくれたのには、「さすが建築家だな」と思わされた。頭がいいし、想いも強いし、優秀な人だと感じた。

「絶対に社会で活躍できるのに、休職しているのがもったいないな」

そんなことを考えながら、あっという間にパンフレットの具体的なイメージとアイデアが決まった。

最後に、「もともと広告の世界にも興味があって、大好きな銭湯のブランディングができたら死んでもいいくらいです」と言うので、「じゃあ小杉湯のCBO(チーフブランディングオフィサー)をお願いしますね」と冗談を言った。

その後の小杉湯での功績と貢献を考えると、あながち間違いでもない肩書きだったと思う。



打合せのあとに、初めて小杉湯のお風呂に入ってくれることになったので、湯上がりに感想を聞いてみた。

「すごかったです。お湯加減が異なる三種のお風呂が絶妙で、交互浴マニアとしてはこれまでにない開放感と気持ちよさで、人類全てに感謝するぐらいでした。平松さんのお話も含めて、すっかりファンになりました」と熱量高く伝えてくれて、「すごいな。でもコミュニケーション能力のあるオタクって最強だと思うんだよね。」と笑ったら、本人も頷いていた。

ファンじゃなきゃ本当の魅力は伝えられないし、ファンだから、ファンをつくっていけるんだ。改めてファンづくりの根底は愛だと、この言葉を聞いて思った。


そして、ここからが本当にすごかった。

家に帰ったらすぐに下書きを描いたと連絡がきて、小杉湯全体の大きな絵を描けることが楽しいから、どんどん進めてますと言ってくれた。嬉しくてわくわくがどんどん膨らんでいく。次に会う時は下絵を見せてくれるということで、とても楽しみにしていたら、翌日には下書きの写真を送ってくれた。

「おおおおおーーーーーーーーー!!!!!!!!!」

初めて見た小杉湯の図解は、まだ下書き段階だったけど、小杉湯の天井の高さや開放感がしっかり表現されていた。細部まで強いこだわりを持って描こうとしていることが伝わってきた。

次の日。

時間があったから一気に進めてみたという報告とともに、写真を送ってくれた。ものすごい細かさと緻密さで小杉湯の内観が描かれていていることに、とても感動した。



「うわーーーーーーーーーーー!!!!!!!!!」
「これは、すごい!!!!!!」
「すごいです、すごいです!!!!!!」

写真で見るだけでも、わくわくする絵だった。

これは絶対に両親や家族、小杉湯のお客さんも喜んでくれるし、きっとこの絵に込められた愛が、どんどん世の中に伝わっていくだろうなと思った。

それに、小杉湯はお客さんの存在があって初めて小杉湯になるんだと気づいた。

お客さん一人ひとりの表情まで細かく描かれていて、見ているだけで小杉湯のお風呂に入っているような感覚になったから。

「建物だけでは、お風呂だけでは、小杉湯では無いんだ。お客さん1人ひとりの日常があって、生活があって、その時間が重なりあって、小杉湯がつくられているんだ」

小杉湯を経営していくうえで、とても大切なことをこの絵から教えてもらったような気がした。そのことを伝えると「人がいない建築は死んでるっていつも思ってるんです」と言われて、とても腑に落ちた。



2016年12月13日に、初めて小杉湯の図解を直接見た。

心が震えて揺さぶられるような感覚になった。

ただただ目の前の絵に引き寄せられるように、ずっとずっと小杉湯の図解に見入った。その絵に描かれていた小杉湯とお客さんの日常が輝いている。

それは僕が知っている小杉湯よりも、僕が想像していた小杉湯よりも輝いていた。

僕は小杉湯の未来ばかりを考えて、その未来は自分がつくるんだと意気込んでいたけれど、目の前にある絵は、いまの小杉湯だった。

「ファンづくりをすることで小杉湯を続けていこう、未来をつくっていこう、そう考えていたけど、違うんだ。いまの小杉湯が続いていくから、ファンが生まれていくんだ」

そのことに気付かされて、また、雷に打たれたような衝撃を受ける。

昭和8年に創業して84年間、ずっと変わらずに高円寺の街にあり続けた建物と、時の流れのなかで、一日一日積み重ねられてきた時間と、お客さん1人ひとりの日常が小杉湯をつくっていて、そのひとつひとつの積み重ねが、結果として未来になるんだ。

「私が、その日、その瞬間に、そこにいた銭湯を描きたい」と彼女が言っていたことを思い出して、この絵に出会えたことに感謝した。

この絵がなければ、もしかしたら僕は勘違いをしたまま、小杉湯を経営していたかもしれない。少なくともあのとき、あの絵と出会えたからこそ、いまの小杉湯と自分があるんだと言える。

そんな絵に出会えたのが、初めて出会ってたった6日後だったことに驚く。改めて、感謝の気持ちが湧いてくる。



塩谷歩波との出会いは、塩谷歩波が描いた絵との出会いだ。
彼女が絵を描く度に、小杉湯の愛はひとつひとつ形になって届いていく。
彼女が描いた絵は、僕にとっての光であり、小杉湯にとっての光なのだ。

POSTED

2020-08-20

CATEGORY

Column