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「生活を忘れることによって、もう一度人生を思い出す」|わたしに読む交換日記

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自分の人生がどこに続くのかわからない道だとすれば、その道をつくるのは「人」だと思う。
人と出会い、人と過ごし、人と関わることで、自分ひとりでは決してたどり着けなかったところに立っていることがよくある。



昨年わたしは、ある長編小説を出版した。
『戦争と五人の女』という題名の、真っ赤な装幀の本だ。

小説を出版することは、長年のわたしの夢だった。
10代の頃から文章を書くのが好きで、誰に読ませるわけでもない小説やエッセイのようなものを、ひたすら書きためていた。

初めて小説を完成させて、文芸誌の新人賞に応募したのは24歳のときだ。
社会人になって2、3年がたち、忙しさのために文章を書く時間がほとんどとれなくなって、自分が自分じゃなくなるような不安感があった。このままではいけない、もっと書きたいと、思いついたのが新人賞に応募することだった。目標があれば、毎日書ける気がした。

会社に勤めながら、帰宅したら寝るまで書いて、土日も時間がある限りすべて小説にあてた。残業も多い仕事だったので、それはかなり大変なことではあった。机に突っ伏したまま朝まで眠って、そのまま出勤したことも何度もある。それでも毎日ちゃんと書けているというのは、自分らしく生きられているようで嬉しいことだった。

そうしてようやくできあがった作品は、新人賞の最終選考まで残ったものの、そこであっけなく落選した。選考委員の選評は散々なもので、なけなしのプライドはことごとく砕かれ、それを読んでしばらく書けなくなったほどだった。

それでもわたしは書くのをやめなかった。やめられなかった、と言ったほうが正しいかもしれない。毎日書くことが「自分らしい」と思っていたし、次はもっといいものが書けるのではないかという期待もあった。
仕事と育児の合間に時間を作りながら、20代後半で2作目と3作目を書き上げ、新人賞に応募し続けた。それらも最終選考の一歩前までは行くのだが、賞を獲ることは叶わなかった。


3作目を書いているときに決めていたことがある。
それは、「30歳になったら小説を書くのをやめよう」ということだった。
そのときには限界が見えていた。ひとりで書けるのはここまでだと思った。今まで書いてきた作品が十分でないことだけはわかるが、それ以上何をすれば良いのかまったくわからない。編集者についてもらえたらいいが、そのためにはまず新人賞を獲らなくてはいけない。そしてわたしには、その技量も才能もない。

もうあきらめよう、と思った。
これだけエネルギーをかけてもだめなのだから、もうだめなんだ。より報われる「自分らしい」ことを見つけ、そこにエネルギーの矛先を向けたほうがずっといい。そのほうが自分も、周りの人も、きっと幸せになる。

30歳の誕生日は、何事もなくやってきた。
その瞬間、「ああ、これでもう小説を書かなくていいんだな」と思った。
どこかほっとすると同時に、自分から大切なものが抜け落ちたような気持ちだった。
自分で自分の人生の道筋を、大きく変えた瞬間だったと思う。



でも、その道筋は軽々とまた変えられた。
さらに誕生日を重ねて31歳になった直後、柳下さんに出会ったのだ。
彼はわたしに「僕が編集につくので、小説を書きませんか?」と言った。
「ブログの文章を読んでいて、あなたは小説を書ける人だと思いました。あなたの小説を、読んでみたいんです」

もう小説は書かないと決めたあとに、編集者が現れた。
わたしはその事実にほとんどフリーズして、2秒だけどうしようか考えた。その間に、選考委員に言われた言葉たちがリフレインし、作品を書いていたときの苦しみが蘇る。

今のわたしに本当に小説が書けるだろうか。
失望させてしまうかもしれない。ひどい失態を見せることになるかもしれない。
一度見限った自分の才能や実力のなさを、今度こそ完全に思い知るかもしれない。

でも、それでもいいと思った。
ふたたび、あるいは新しく開かれた道を、行けるところまで行ってみよう。
2秒の間にそう考え、あれだけ断腸の思いで決意したことを撤回し、頭を下げた。
「書きたいです。どうぞよろしくお願いします」

本当は、ずっと小説が書きたかった。
30歳を過ぎても、まわりに迷惑をかけても、誰にも求められず認められなくても、小説を書きたかった。
わたしは、書かなくて良くなった日よりもさらにほっとした。
また書けるんだ、書いてもいいんだと思って、心からほっとした。
また、自分らしく生きられるんだ。

それで今のわたしがある。
『戦争と五人の女』は、わたしが初めて世に出した長編小説だ。
数年前に諦めたはずの本。ひとりでは決してたどり着けなかった場所。



そんな、わたしの道を変えてくれた柳下さんとの出会いを、ここで振り返ってみる。

初めて出会ったのは、4年前の夏だった。
あるイベントに参加したとき、偶然その場にいた大学時代の友人が「土門に紹介したい人がいる」と言って引き合わせてくれたのだ。

もじゃもじゃの髪の毛にめがねをかけた彼の姿は、ライブハウスの中でかなり目立っていた。その頃わたしも二人目の子を妊娠しており臨月だったので、わりと目立っていたと思う。友人を間にして、そんなわたしたちは向き合った。

友人は、柳下さんをこう表現した。
「僕が知っている中で、いちばん本を読んでいる人」
そしてわたしのことはこう表現した。
「僕と同い年の友達の中で、いちばん『いいな』と思う文章を書く人」
このふたりをずっと会わせたかったので嬉しい、と友人は笑った。

わたしは突然そんな紹介の仕方をされて、なんて言って良いのかわからなかった。友人は本当にただ引き合わせたかっただけらしく、満足そうな顔をしている。柳下さんはずっとにこにこしていた。

先に口を開いたのはわたしのほうだったろうか。
「本をたくさん読まれるんですね」
すると、柳下さんはこう言った。
「僕、手がすごく大きいんですよ」
え?といぶかしむわたしの目の前で、彼はぱっと右手を開いて見せた。まじまじとその手を見つめ、「本当ですね」と返事をする。
「手が大きいと良いことがあって、文庫本を片手で持ってページをめくれるんです。電車のなかでつり革につかまっているときなんか、とても便利ですよ」
片手で文庫本を持ち、親指でページめくるシーンを想像し、それは確かにとても便利だと思った。だから「いいですね」と言ったのは本心からだ。彼は「でしょう」とにっこり笑った。

今思えば、「読む人」「書く人」として紹介されたことが、その後のわたしたちの関係をそのまま表しているとも言える。でも友人もわたしたちも、最初はそんなつもりまったくなかった。

わたしの第一印象は、「文庫本を片手でめくれる、本をたくさん読んでいる人」だった。



わたしは子供の頃から、よく本を読んでいた。

兄弟はいないし、両親は別居していたし、一緒に住んでいた母は夜の仕事をしていたので、ひとりの時間ならたくさんあった。退屈で空虚なその時間をまぎらわすように、わたしはひっきりなしに本を読んでいた。

図書館に出かけて、制限冊数まで本を借り、手提げ袋に入れて持って帰る。膨大な数の本たちはすべて、ちっぽけな子供のわたしにも開かれていて、図書館のなかに身を置くと心から安心することができた。

何と引き換えるわけでも、何を求めてくるでもなく、本はただただ無条件に無尽蔵に、わたしのひとりの時間を埋めてくれる。本を読むことで、「寂しい」という気持ちを忘れることができ、読み終わるとなんだか自分が少し強くなっているような気がした。

「今日」を乗り切り「明日」を迎え入れるために、本は役立った。
本は「生きる」ということを具体的に助けてくれる、友人であり恩人だった。

わたしが小説を書き始めたのも、その原体験があったからだ。
自分もこういう「善い本」を作れたら、と思うようになるのは、ごく自然な流れだった。
わたしの人生の道は、あの頃の日々が土台になっているのだと思う。



友人に紹介されて以来、わたしと柳下さんはFacebookでつながった。
柳下さんは東京に、わたしは京都に住んでいるので、特に顔を合わせることもなく、パソコンやスマートフォンに表れる文章で、お互いの近況や人となりを知っていった。

あるとき、柳下さんがこんな文章をFacebookに投稿していた。
それは「本と夜と時間と生活」についてのエッセイだった。

わたしはこのエッセイを読んだ時が、柳下さんとの第二の出会いだったように思う。

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「生活はいつもダラダラと続き、昨日と今日の区別はつかないまま。
でもね、逆説的だけど、読書が僕に時間をくれるのだと思っています。
夜、できれば雨なんて降ってるといいですが、ひとりで、小説でも随筆でも、何かを学ぶためや思索にふけるための実用書でも、ページを開いているときに、現実と違う時間軸が生まれます。
その時間だけが、生活をひととき忘れさせてくれます。
そして、ようやくリズムが生まれる。
僕は生活を忘れることによって、もう一度人生を思い出すことができるのです。
ライフイズカミングバック。変な理屈に聞こえるかもしれないけれども」

(『SHIPS Days 2016 Fall & Winter』より)
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わたしはこの文章を読んで、強く心を動かされた。
そしてもう一度最初から読み返し、中の一文を朗読した。
「生活を忘れることによって、もう一度人生を思い出す」

これだ、と思った。
わたしが幼い頃、本からもたされていたものはこれなんだ。

退屈で空虚でひとりぼっちな「生活」を、本が忘れさせてくれた。そして読み終わったとき、わたしは勇気や希望に満ちた気持ちで「人生」を感じていた。
たった数年しか生きていないわたしにも、特別なものなんて何も持っていないわたしにも、「人生」という道は開かれているのだと本が教えてくれた。誰をも受け入れ、誰をも満たす図書館みたいに。
本があったから、わたしは「人生」を諦めないでいられたのだ。

「生活を忘れることによって、もう一度人生を思い出す」
この一言で、わたしは本読みとしての柳下さんを信用した。柳下さんもあの感覚を知っているんだなと思ったから。やっぱりあの人は「たくさん本を読んでいる人」なんだ、と。
そう、いち本読みとしての自分が確信していた。



その出会いが基盤としてあったから、次に直接出会って、
「僕が編集につくので、小説を書きませんか?」
と言われたときに、わたしは「ぜひ」と即答できた。
一度自分の手で変えた人生の道筋を、もう一度変えようとすることができた。その相手は、誰でもよかったわけではもちろんない。

柳下さんは本の力を信じているし、わたしも本の力を信じている。
そしてわたしは、本の力を信じている人のことを信じている。

その信頼感が根底にあったから、わたしは柳下さんと作品を作ろうと思った。
この人となら、「善い本」を作れるかもしれないと思ったからだ。
わたしがこれまで出会ってきた、友人であり恩人であるような「善い本」を。

そのときからわたしは、「善い本」に思い出させてもらった自分の人生を、「善い本」を作るために歩み始めた。



このあいだある図書館から、わたしたちが出版した小説を置きたいという連絡が届いた。

来館者がリクエストしてくれたのだろうか。それとも司書の方が見つけてくれたのだろうか。いずれにしろとても嬉しかった。幼い頃の自分の代わりに、何かを返せたような気がして。

「生活を忘れることによって、もう一度人生を思い出す」
この小説が誰かにとって、そういう一冊になったらいい。

ひとりでは決して来られなかった場所で、今そんなことを思っている。

POSTED

2020-09-11

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