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100万回再生も「できそうなこと」を積み重ねただけ ––山下歩、7年間の軌跡

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どんなに小さいことでも、表現してみるだけで、共感を呼び、ファンを生み出すことがある。Youtubeで人気のアーティスト・山下歩は、そんな「できそうなこと」から、ファンを増やしていったひとりだ。

大学3年のとき「編集がラクだから」とカバー曲の動画投稿をスタートし、現在では16万人の登録者を誇る。しかし、少しずつ自分の表現を広げていった裏側には、誰もが経験したことのある人間関係のすれ違いや、「仕事」への違和感があった。



音楽仲間の「あたりまえ」に、沿う気になれなかった


2012年、鳥取から大学進学で上京して2年が経った山下歩は焦っていた。自分の表現したい音楽がどこにあるのか、ずっと見つからなかったからだ。

歌手として食っていきたいし、漠然とした自信はある。だけど、コツコツライブハウスでのライブを積み重ねるような、下積みをする気にはなれなかった。

有名になれるかどうかも分からない道を地道に歩むより、自分が心から納得する選択をしたい。そんな性分もあり、音楽仲間のなかでもどこか浮いた存在だった。

もっと効率的に、自分の音楽を表現できるフィールドはないだろうか。目をつけたのが、インターネットの動画投稿だった。



もともと洋楽好きだったこともあり、YouTubeで音楽を探すなかで、まだ日本には少なかった「カバー動画」が海外でたくさん投稿されているのを見つけたのがきっかけ。

これなら俺にもできそうだし、プロダクションの目に留まれば、もしかしたら歌手になれるかもしれない…!YouTubeチャンネルとFacebookページを開設し、友人に「いいね!」へのリクエストを送信した。

しかし、直感的に「イケる」とは思ったものの、ユーチューバーが市民権を得ていない当時、動画をアップロードする前に恐怖を感じている自分もいた。



「よこしまな気持ち」を持った出会い


順調に活動を続け、Youtubeのチャンネル登録者が2000人に届いたころ、とある男性からメッセージが届いた。

「夜分すみません、YouTubeに投稿している動画から来ました栗山と申します。僕はフリーのクリエイターで東京で活動しています。カバー動画の2人組でかっこいい動画作ってみませんか。ご興味あれば一度お会いしませんか?その時いろいろなことお話しできたらなと思います。ご返信お待ちしております」

1歳年下の栗山健一は、フリーランスの動画編集者。仕事に不満はなかったが、しがらみなく、自分の好きな表現を突き詰める場所を模索していた。そんなときに見つけたのが、「山下歩」のチャンネルだった。



2000人という、多くも少なくもない登録者数や、大学生という肩書き。「自分が趣味として楽しみつつ、プロとしての本気を出せるちょうどいい規模感だと思ったんです」。そんな、「ややナメた態度」で声をかけた。

歩も、音楽一本で食っていく「アーティスト気質」だった当時、自分で動画編集をする気にはなれなかった。「いい感じに動画編集してくれる人きたんだけど」みたいな「上から目線」で会ってみることに。



お互いよこしまな気持ちでの初対面。しかし、会ってみると、意外に波長が合うことに気づく。あ、これならいけるかもしれない。

「僕と健一は真逆の性格で。僕が何かに怒っていたらすぐに『まあまあまあ』って諌めるのが口癖で。当時は『なんでそんな適当なの!もっとガチガチにやれよ!』と思っていましたが、そのバランスがよかったのかも」(歩)



コンビで活動を始めてすぐ、目標を「100万再生」と設定。一方で、「年齢関係なく、お互いが対等に楽しくやり続けることを大切にする。もしどちらかが高慢になったらちゃんと怒る」と約束し、活動をスタートさせた。

二人のデビュー作は、マクドナルドのドライブスルーの注文を歌でやってみるという内容のもの。最初の企画会議で即決し、15分で歌と曲を書き上げ、すぐさまドライブスルーに向かった。



その後企画を出し合い、100万再生へ向けた試行錯誤が行われた。一番最初に目標を達成したのは「【日本語カバー】We Are Never Ever Getting Back Together」。予想よりも早い、活動開始から半年での目標達成だったという。

コンビ結成後、一度だけ経験した「衝突」


順風満帆に見えた活動だが、再生数を稼げば稼ぐほど、お互いの温度感の違いが一度だけ、大きな衝突を起こした。

健一にとっては、あくまで仕事の延長線上にある「遊び」。一方の歩にとって動画投稿は、「歌手として食べていきたい」という決意のもとはじめたもの。有名になればなるほど、プロ意識が高まっていくのは自然なことだった。

しかし、そんなプロ意識が、当初抱いていたよこしまな気持ちを表面化させてしまう。



「いま思うと、間違ったプロ意識を持ったまま調子に乗ってたなぁと。いつのまにか、動画編集をしてくれる健一のことを“ツール”としか見なくなっていって。勝手に歌だけ収録して、編集を丸投げしてしまったこともあった。

そのときに健一から電話があって、『最初の約束を果たせないなら、このまま一緒にやっていくことはできない』とキツめに注意されました」(歩)

ときには衝突を経験するなかで、お互いの歌、映像への想いを理解していった。



「2人にとっての最高傑作は?」と聞くと、口を揃えて「赤とんぼ」。コンビで撮影、編集した最後の作品だ。内容は、日本中の夕焼けスポットで童謡『赤とんぼ』のカバーを歌うというシンプルなもの。

この作品はお互いの「きっかけになった」という。3ヶ月ものあいだ車で日本一周するなかで、作品に対する情熱を改めて共有するとともに、「コンビでできることはやりきったな」と、時間をかけて認識していったのかもしれない。



赤とんぼの収録ののち「登録者や再生数に縛られず、自分の好きな表現を突き詰めたい」と感じた歩は、地元の鳥取に戻ることに。

結果的に2人が会う時間が減り、コンビでの活動がストップすることとなった。

里帰りし、「やりたくなかった」編集を経験した歩が思うこと


「山下歩チャンネル」の動画編集も歩が自分で行うようになり、動画の内容も、カバー曲やオリジナル曲ではなく、日々の生活や生きる意味について、自問自答するものが増えていく。

「自分で編集するようになってから、おもしろさを感じる一方で、健一の偉大さを感じました。それと同時に、高慢になっていた自分を振り返って後悔したり(笑)」(歩)



健一も東京で別の相方を見つけ、新たなスタートをきっていた。

「離れてからも、歩の動画はチェックしていました。内容というよりも、日に日に編集スキルが上がっていくから、コイツすげえなって(笑)。素直さというか、突っ走る能力というか」(健一)

コンビでの活動をストップしてから1年、二人は再び「映像」で結びつき、動画制作の仕事を請け負っている。離れてみることで、お互いの仕事へのリスペクトを深めるとともに、仕事以上に友人としてウマの合う「相棒」であることに気づいたからだ。



「振り返ってみて、健一との関係性を深めていくなかで、人としてすごく成長させてもらったなぁ。特に、心に余裕を持ち、相手をリスペクトして仕事を進めるスタンス。学生時代にバカにしていた『まぁまぁまぁ』は、相手を尊重して楽しめるための心の余裕を保つための言葉だったんだなって」(歩)

なんとかして音楽で食っていきたい…。学生時代の「焦り」から生まれたチャンネルは少しづつファンを生み、世界中へ連れていき、人生を変える「相棒」への出会いをもたらしてくれた。

「チャンネルをつくったのも、オリジナル曲も動画編集も…目の前の『できそうなこと』にチャレンジし続けた積み重ねなんだよね。だから、これから何をするかは全然わからないし、歌の動画もアップしていないんだけど、今見えている世界の中から、何かを選択するんだと思う」(歩)



「もちろん、最初はなんでも『怖さ』がつきまとう。でも、そういう怖さを超えた先に、可能性が広がっていくのを、なんども経験してきた。だから、いま現状にもやもやしている人がいたら、怖さを超えて楽しくなるサイクルを、一周だけでも経験してみてほしい。それを繰り返すうちに、やりたいことに行き着いてると思うから」(歩)

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POSTED

2020-02-16

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