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「名乗り始めよ、さらば与えられん」—— 無名の青年が、脚本家・小御門優一郎になるまで

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「不安なんですよね、いつも」

ぽつりと呟かれたその言葉は、少し意外なものだった。


脚本家・小御門優一郎。

コロナ禍で一躍注目を集めた「劇団ノーミーツ」で脚本を担当し、今では小説や脱出ゲームなどさまざまなフィールドで物語を生み出し続けている。

しかし、脚本家としての人生を歩み始めたのは、まだ最近のこと。

物語に憧れた少年時代。
演劇と出会い、作り出したもう一人の自分。
選択によって紡がれてきた今、そして未来。

現実とフィクションの狭間で生きる彼が、物語にこだわり、名前を変え、脚本家になることを選んだ理由とは。

これは、岡戸優太が「小御門優一郎」になるまでの物語。


物語への憧れと畏怖


幼い頃から物語が好きだった。でもそれと同時に、恐ろしかった。

「『銀河鉄道999』の最終回を観て、子どもながらに落ち込んだんです。メーテルと鉄郎は別れていくのか、そうかって。それから数日間、ずっと鉄郎のことばかり考えていました」

銀河鉄道999、ジュラシックパーク……お気に入りの作品はテープが擦り切れるくらい観た。時にのめり込みすぎて、自分の心を持っていかれてしまうほどに。

そんな物語を生み出せる存在に対する憧れ、そして畏怖の感情。

少年の「物語」に対する思いは特別なものになっていった。



慶応義塾大学の付属高校に入学し、大学受験の心配もなく時間を持て余した彼は、海外文学に傾倒していく。

ドストエフスキーの五大長編『罪と罰』『カラマーゾフの兄弟』『未成年』『白痴』『悪霊』。トルストイの『戦争と平和』。ダンテの『神曲』……。

とにかく読んだ。登場人物たちの人間くささに魅了され、作者に対する畏怖の感情はさらに募っていった。

「魅力的なキャラクターも物語も、全部作者によって考えられたものじゃないですか。めっちゃ好きになったとしても、その上には作者がいる。ああ、負けた…...って」

そして、彼は自ら書き始めた。



「なんでしょうね。物語で心を奪われるのが怖いんです。感動も没入もしたいけれど、ともすると心を掴まれすぎて自分をコントロールできなくなってしまう。

それに対抗するには、自分が書き手になることなのでは?と。『僕も作れますけどね』とガードすることで、安心して物語に触れられるんじゃないかなと考えたんです」

物語に服従させられないために、自ら物語を創る側へ。

初めて書いた小説は、校内の文芸誌に掲載された。

書くことで生きていくなんて到底考えられなかったが、それでも「物語を組み上げられる人」への憧れはより確かなものになった。



大学の入学式後、物語に関われるサークルを求めてうろうろする青年に、先輩と思しき二人組が声を掛けてきた。


「演劇、興味ありませんか?」


第一印象は「声出てんなあ、このふたり」。

何だか面白い人が多そうだなと思い、とりあえず入ってみることにした。

直感に従って飛び込んだ演劇の世界。のめりこむのにそう時間はかからなかった。

初めての新人公演で役者を経験したり、有名な劇作家の作品を観劇したり。お客さんを納得させられれば、なんでもアリな世界に面白さを感じた。

その中で湧きおこるのはやはり、物語を組みたいという気持ち。脚本をやる機会を虎視眈々と狙い、3年生になるととにかく書いた。



それからほどなくして、彼は自分の劇団を立ち上げることになる。理由は、競える環境に身を置きたかったから。

「知り合いは面白いって言ってくれるけれど、だんだん不安になってきたんです。本当に面白いのか?って。他の団体と比べた結果、何番目だと言われた方が安心できるなと思ったんですよね」

順位を付けられることで、さらにいえば1番をとることで安心を得たい。そのために『21g座』という名前で劇団を立ち上げ、演劇祭やコンテストにたくさん参加した。

しかし、勝てない。

審査員特別賞をもらえることはあったが、最優秀賞は一度もとることができなかった。

「でも、結果に不満が残った大会はそんなになかった。最優秀賞の団体を見て、そうだよな、1番っぽかったもんなって。

僕の作品は誰か一人にはいいと思ってもらえるかもしれないけれど、そこ止まりの人間なのかと改めて思って、どうしようかなと」

できることなら物語を組み続けたい。しかし、それでどうやって生きていけばいいのかがわからない。演劇の世界で生きていく未来を描けず、一般的な就活の波に乗った。

物語を内包しているコンテンツに関われるならどこでも、とエンタメ系企業をあらかた受け、彼は松竹への就職を決めた。

作り出した、もう一人の自分


歌舞伎の部署に配属され、宣伝部として忙しく働く日々。襲名興行など大きなイベントも多く、現場に近い仕事にはやりがいを感じていた。

しかし、自分の創作ができずにいることや、今のまま仕事を続けていていいのかという不安は常にあった。

「たぶん、このままいけば歌舞伎のプロデューサーを目指すコースに乗っていくのかなと思っていて。頭の片隅には『いつ動く?』という問いがふわーっと湧き出ていました」



状況に変化が生まれたのは、社会人2年目の夏。

それぞれの会社に慣れ、同じく燻りを感じていたサークルの仲間たちや新たに知り合った仲間とともに、夏休みにショートフィルムを撮った。結果は、優秀賞。

また勝ちきれなかったが、それでもめちゃくちゃ楽しかった。

仲間とまた芝居をやろうと決め、神奈川芸術劇場で短編演劇フェスにも出た。やっぱり、めちゃくちゃ楽しかった。


この時からだ。彼が「小御門優一郎」を名乗り始めたのは。


「大学で演劇をやっていた頃から、『作・演出 岡戸優太』という文字を見て、なんかここだけリアルすぎるな?と思ってたんですよね。自分の存在すらもフィクション化して、それを演じている状態をずっと続けていけたらいいのになって。

それに、「えいや!」ってすごそうなペンネームで名乗りだしちゃえば、フィクションの自分に追いつこうとして頑張るのでは?と思ったんです」


岡戸優太から、小御門優一郎へ。

ローマ字で書くと、KOMIKADOの中にOKADOがあること。そして、文豪っぽくてずっしりとした印象があることからそのペンネームに決めた。


とりあえず働きながら自主活動として創作をし、半年に一つのペースで作品を出し続けた。2020年2月には「21g座」として阿佐ヶ谷のシアターシャインで公演を打ち、いったん個人としてはやりたいことを発散、改めて仕事に本腰を入れるかと気を引き締めた矢先のこと。



2020年春。

日本でも新型コロナウイルスの感染が拡大。人々の生活は一変し、外出や人との接触を避けなければならない日々が始まった。

誰も予想しなかった未曾有の事態。社会全体が先行きの見えない不安や焦燥に駆られていた。もちろん、彼自身も。

「コロナ禍で仕事が軒並み吹っ飛びました。どうしようかなって」



そんなある日の深夜、“それ”は突如として始まった。

「今ひま?」

就活時代に出会い、卒業制作をともにつくった林健太郎からの「Zoom演劇を作ってみないか」という誘いだった。

どうすることもできず時間を持て余していた彼は、その誘いに軽い気持ちで乗った。


これが、「劇団ノーミーツ」がはじまった瞬間でもあった。


初めての会議から3日後の夜。SNSに初めての動画コンテンツをあげると、翌日には万を超える再生回数がついた。いわゆる、バズだった。

「朝起きて見てみたら、えー!って。これまで一つの作品を観てもらえる人数といえば、最大で数百人の世界でした。それが、今回は数万のエンゲージメントがあった。どれくらいの人がちゃんと観てくれているかわからないけど、すげえ、すげえじゃんって」



3日に1本程度のペースで動画をあげるうちに、インフルエンサーや知名度のある役者も出演してくれるようになった。しかし、先行きもわからぬ状況下での実験的な試みということで、あくまで無償。

このままでは、お金にならないバズ動画集団になるだけ。規模は小さくても利益が出るようにしなければ希望がない、という林の言葉をきっかけに、興行化することに決めた。


旗揚げ公演『門外不出モラトリアム』は、時勢にあったテーマと新しいエンタメ体験が話題を呼び、3日間の公演の総観劇者数は約5000人。想像を遥かに超える数を叩き出した。

「まさか無名のサラリーマン脚本家の作品を、5000人に観てもらえるとは。すごい体験でしたね」

メディアからの注目を集める中、すぐに2本目の長編作品の企画が動き出した。

Zoomを超えた作品づくりを目指し、さらなるアップデートを重ねた第2弾公演『むこうのくに』では、約7000人を記録。SNSで感想をアップする観客の中には、著名人もいた。


活動は波に乗りつつあった。しかし、この頃には本業である歌舞伎の仕事も再開しはじめ、両立がかなり難しくなっていた。

劇団ノーミーツでは、この勢いのまま年末にも公演をやる話が持ち上がっている。でも、いざ会社員を辞めて脚本家一本でやっていくことを考えると不安で、すぐに答えを出すことはできなかった。



決断を後押ししたのは、林の「そろそろ、松竹にいる意味なくなってきてない?」という言葉だった。

「すごいこと言うなあって(笑)。もちろん意味がないことはないけれど、たしかに自分が一番やりたいのは物語を作り続けること。それが、僕が到達したい『安心』に至る一番の近道だと気づいたんです。

それに、プロでもないアマチュア劇団ではございますが、とやってきたけれど、いつまでもその予防線を張り続けるのもダサいなあって。だったら会社を辞めて、『脚本家』って名乗ってみるかあと。別に誰にダメと言われるわけでもないし、名乗ったらその日からもう『脚本家 小御門優一郎』になれちゃうんだから」




「会社員をやりながら脚本を書いている人」から、「脚本家」へ。

脚本家・小御門優一郎としての新たな物語がまた一つ始まった。

選択後の自分、そして未来


彼が脚本家として独立するとほぼ同時に、劇団ノーミーツが法人化。年末に行われた3本目の長編公演『それでも笑えれば』も大成功を収めた。

「選択」という物語のテーマに合わせ、観客の選択によってストーリーが変わる仕掛けは、観る者に新しい体験をもたらした。



彼自身、会社を辞めて脚本家として生きる選択をしてみて、今どうなのか。

「お金の心配、ありますね。まだまだ不安です。今まではノーミーツが大失敗したとしても、それぞれの会社に引っ込めばいいだけだったけれど、そうはいかないので。現実のことを考える時間は嫌なんですけどね」

リアルな言葉だった。はじめから何もかもが上手くいくとは限らない。それでも、そう語る彼の表情はどこか清々しかった。

「僕、ノーミーツの活動を始めてめちゃくちゃうれしいのが、周りも自分も『小御門優一郎』に慣れて、この名前で生活ができはじめていることなんです。

幼い頃から僕にとって現実は、統一感もなければ文脈も繋がらない、安定しないことだらけの世界。一方でフィクションの世界はきれいで、展開や必然性もある。その世界で生きたくても、僕は現実世界でしか生きることができない。

でも今は、“岡戸優太”ではなく“小御門優一郎”が現実世界を生きている。現実世界にいつつも、ある意味フィクションのような存在として物語を作りながら生きていける状態が、すごく安心できるなと思うんです」



“安心したい”

今回のインタビューで、彼の口から度々出てきた言葉だ。

現実世界に対する不安から、フィクションに猛烈に憧れた岡戸優太青年。彼は今、「小御門優一郎」という存在を通して社会と接続している。

彼の中で物語を生み出す行為は、不安定で美しくない現実を生き抜く術であり、救いなのかもしれない。



「僕は上昇気流にたまたま乗っかれたラッキーボーイだけど、1年間オンライン演劇という新しいフォーマットに物語で答え続けたことは褒めたいなって。

だから今後はあらゆる物語を生み出す段階にいきたいですね。ゲームでも映像でも漫画でも何でもやりたいなと思っています」

そう、彼は「物語」さえあれば何でもいいのだ。

時代の流れや形式に合わせて、そのとき一番面白いと思うものを物語としてアンサーしていく。そこにあるのは、現実を変えようとするのではなく、ただ純粋に新しい世界を生み出したいという思い。

「物語を注入できる余地があるところに小御門あり、みたいな。そうなっていけたらね、かっこいいですよね」

彼は物語を愛し、恐れ、戦ってきた。作り手として当事者になるというのは、決してやさしいものではない。不安や恐怖だってある。

しかしその先にある“安心”を目指す彼は、ひとつ、またひとつと物語を生み出し続けることで、自らの人生をも変えてきた。

自ら生きる意味を見出し、選択を重ねた先に新たなストーリーが展開していく。つまらなく平凡な人生をドラマチックにできるのは、まぎれもない自分自身であると教わったような気がした。

「もしコロナがなくても、僕はいずれ脚本家になることを選んでいたと思います。何かのタイミングで『いつ動く?』という声に突き動かされたんじゃないかな」

彼は死ぬまでにいったい。どれだけの物語を残すのか。はたまた、彼自身の物語はどのように展開してくのか。


小御門優一郎の物語は、これからも続いていく。


POSTED

2021-07-05

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