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いつだって僕らは、無いなりに必死で、楽しくやってきた。SEIKAとTAKUMAとRANDEBOO(ランデブー)

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ファッション業界から“ネオ アパレルブランド”と注目される「RANDEBOO(ランデブー)」。Instagramのフォロワーは10万人を超え、今年3月にはルミネ新宿2に実店舗をリニューアルオープンした(ルミネ新宿2での初オープンは、2019年8月)。

RANDEBOO創業者でありディレクターを務めるのは、24歳のSEIKA。創業からSEIKAと苦楽をともにしてきたのは、彼女の恋人であり、代表取締役でもあるTAKUMAだ。

札幌で出会い、RANDEBOOを磨くためにキャリーバッグ一つで上京したふたり。“二人三脚”で歩んできた日々をふりかえると、不恰好な頃さえ、愛おしかった。


とある日の東京・青山に、SEIKAとTAKUMAがやってきた。青山、表参道を拠点に活動し始めて、1年半になる。

時の流れとは、不思議なものだ。

まだ札幌でRANDEBOOをやっていた頃は、ファッションブランドを運営していく十分な知識も資金もなくて、「商品撮影はスタジオじゃなくてSEIKAの家の駐車場。お金を惜しんで、ひとつのお菓子をふたりで半分こしたこともあった」というのに。今や社員がいて、実店舗があって、たくさんのファンがいて、家には愛ネコのガブまでいる。仕事も生活も、充実している。

「ああ、でも、あの頃もあの頃で楽しかった」

SEIKAが、札幌にいた日々に想いを馳せると、隣でTAKUMAが頷く。

「今もいいけど、あの頃もよかった。夕日に映った影を撮るだけで幸せだった」



誕生日の提案

17歳の頃。SEIKAは、TAKUMAをランウェイで見つけた。

6つ上の姉がモデルの仕事をしており、SEIKA自身も父に勧められるがままにモデルとなった。「SAPPORO COLLECTION」など大きな舞台に立つこともあったが、トップモデルになれる自信はなかった。

ある日彼女は、姉と一緒にランウェイを歩く男の人を見て、「他のモデルとは何かが違う」印象を受けた。かっこいいと思った。それがTAKUMAだった。



SEIKAからの連絡を機に、札幌で会うようになったふたり。

「ある日、『家の下にいる』と連絡が来て。玄関を出たら、TAKUMAくんが規格外の大きな花束を持っていたの。もうびっくり」



その日を境に、ふたりは交際を始める。

付き合ってすぐに迎えたSEIKAの誕生日のこと。TAKUMAは、「モデルより、服に携わることの方が向いているんじゃない?」と提案した。彼女が根っからの服好きなことを知っていての言葉だった。

SEIKAは昔からとにかく、人と被りたくなかった。だから「他の人とはどこか違う服」を好きになったのも、それがのちに、「待ち合わせで相手をドキッとさせるような、いつもより背伸びする自分」というRANDEBOOのコンセプトへと繋がったのも、ごくごく自然なことだった。





(画像提供:RANDEBOO)


「私の選ぶ服や組み合わせを、周りのみんなが『いいね』と受け入れてくれた感覚が昔からあって、それが嬉しかった。流行を作ったり、人がやっていないことを最初にやって、それを普通にしていくことが私には得意なのかもしれないと思っていたの。そこにTAKUMAくんの声が後押しになって、アパレルブランドをやってみたくなった」

その時々の精一杯を形にしてきた

当時、SEIKAは19歳、TAKUMAは22歳。

お互い、ファッションブランドを立ち上げた経験はもちろんのこと、服飾学校で学んだこともない。立ち上げ当初は何もかもが初めてで、戸惑うことの連続だった。

「覚えてる? 僕たちが最初、『ECサイトに載せる商品をスタジオで撮りたい』となったときのこと。スタジオに持って行ったのが、一眼レフじゃなくてデジカメだったよね」

「そうそう。『Canon』って聞くだけで恐縮してたもん」

「僕らはスタジオのセット方法もわからなくて。白い紙をホームセンターで買って背景にして、適当にライトをたくさんつけて撮影した。それで、出てきた写真が」

「そう、出てきた写真が」

「「証明写真みたいだった」」



その頃につくった事業計画書も、いい加減な内容とハートだらけの装飾に、「呆れて笑えてくる」と懐かしむ。けれど反面、「その時の精一杯が形として残っているから、成長を感じさせてくれる」とも言う。知識も経験も不完全なまま、できることを形にしてきた。

「走り始めの頃は、見せ方から何からいろんな面で深刻だったけど。当時は深刻なことにすら気づいていなくて。僕ら『時代を作っている』とすら思っていたよね」

上京と苦悩と磨かれたセンス

もっとRANDEBOOを磨き上げていくために、最先端の流行を追える場所に行きたい。SEIKAとTAKUMAが札幌からの上京を考えるのに、そう時間はかからなかった。

ふたりはキャリーバッグひとつで、「1ヶ月だけ」と約束し、東京で暮らす姉の家に転がり込んだ。ここから資金調達と仕事に奔走する日々が始まる。

TAKUMAは、上京が決まった時から100人余りの知り合いに、ブランドへの出資を頼んで回っていた。もしも事業が頓挫したときのために、コンビニの求人情報から東京の時給も調べた。

そうしてやっと出資してくれそうな人が見つかったときだった。TAKUMAのもとに、札幌で闘病生活を送っていた父が亡くなったという知らせが入る。投資プレゼン前日の出来事だった。

「家族からは、『すぐに札幌に帰ってきて』と連絡がありました。もちろん僕も帰りたかった。だけど、これでプレゼンを取り下げて帰ったら、絶対にこの事業が終わってしまうとも思っていた」

そしてTAKUAMAは、プレゼンに行った。断腸の思いだった。「断られたら後がない」とドキドキしながらしたプレゼンを、きっと父も見守ってくれたんだろう。週明けに出資者からお金が振り込まれていたときは、SEIKAとふたり、幸運を喜んだ。



一方のSEIKAも、上京してからすぐは、自分を貫けず苦労した。

洋服にしろ、写真にしろ納得のいくものが作れなかった。ブランドの方向性を見失いそうになったりもした。

「だからこそ、今は目に見える細いところは全て、納得のいくものを作ることを心がけてる」

生地選びからデザイン、毎日のInstagramのストーリーでのブランディングまで、SEIKAが担当する。ブランドが大きくなっても「細部まで目を光らせる姿勢」は、創業時からずっと変わらない。

変わったこともある。服そのものも見せ方も、より洗練された。コンセプトも、2020年3月のリブランディングと同時に一新。「“愛”という普遍的で見えないものを服で表現する」になった。

TAKUMAが「品質も選ぶ生地も前よりずっと良くなった。それはこの5年間で自分たちが見えている選択肢が広がって、より大きな選択肢から選べるようになったからだと思う」と言えば、SEIKAは「そうだね。時間が経ったから。時間が必要だった」と頷く。

決して一朝一夕では磨かれなかったセンスが、今のランデブーを形づくっている。

あの頃も今も、変わらないこと



今となっては多くの人から憧れの的となっているRANDEBOO。しかし実際は、今だってふたり一緒にゾンビみたいになりながら、仕事に明け暮れることもある。

札幌や上京時代をふり返ってみても、やはりそれなりの苦労をし、泥臭くやったことを改めて実感する。知識もお金も乏しかった頃がたしかにあって、しかしその頃だって充実していた。TAKUMAは言う。

「あの頃はタクシーに乗るお金なんてなくて、当たり前のように歩いて移動することも多かった。その歩いている時間が好きだった。あの頃はあの頃で楽しかったんだよね」

「今も楽しいけど、あの頃“も”楽しかった」

ふたりは無いなりに、楽しくやってきた。SEIKAが「思い出の場所」にあげたのだって、まだディレクターの卵だったSEIKAが、事業報告書を作りながらTAKUMAとランデブー(待ち合わせ)をした、札幌駅のカフェだ。

「今、私にとってTAKUMAくんは、そばにいなくてもそばにいるような存在」
「僕にとってSEIKAは、恋人でもあり、親友でもあり、仕事のパートナーでもあるマルチな存在」

ふたりを軸としたRANDEBOOは今後、海外にも展開し、「その場所その拠点での“待ち合わせ場所”になってほしい」とふたりは描いている。

これからまた荒波にさらされるときが来るかもしれない。それでも無いなりに必死で、楽しくやっていけるふたりであることを、忘れたくない。



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POSTED

2020-04-19

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