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服を編む脚本家・赤澤える 彼女と母の物語

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この春に4周年を迎えたアパレルブランド「LEBECCA boutique」。

国内外で買い付けたヴィンテージアイテムと、実話に基づく物語から生まれたオリジナルアイテムを取り扱っている。

同ブランドの世界観を手がけるのは、総合ディレクターの赤澤える。

彼女の実体験から生み出される「LEBECCA boutique」のオリジナルアイテムは、“物語をまとう”という体験と同時に、「服を大切に」というメッセージも伝えながら、多くの支持を集めている。

そんな彼女のはじまりは、「ぜったいに追いつけない」と語る母との思い出のなかにあった。


「なんで?」ってずっと言ってた



40年ほど前のこと。

えるの母(になる人)は、北海道から上京した。ファッションの仕事に憧れて。

出迎えてくれるのは布団だけ。小さなアパートに住み、夢のためにお金をためる日々。

そんななか出会ったのが、えるの父(になる人)だった。

2人はやがて家族になり、3人目の末っ子として生まれたのが、えるだ。



小さい頃から、えるの頭のなかはいつも疑問で溢れていた。
 
小学校の通信簿には、「なんで?」が多いと書かれてたぐらい。昔から、なにかにつけて「なんで?」が口をついた。
 
「なんで時間内に給食を食べ切らないといけないの?」
「なんでわたしはこの授業を受けられないの?」
 
納得できる答えが返ってこなくて、職員室で先生を問い詰めたこともある。
 
「だってそういうものだから」
 
そう言われるのがすごくいやだった。



その点、母はわたしの「なんで?」をよく聞いてくれたの。「なんでテストの点数は高い方がいいの?」って聞くと、「点数が高い方がいいと思えば頑張ればいいよ」って言うの。自分で答えを出してみなさいって。
 
えるの「なんで?」はまわりに比べて多かった。でも、特別だったわけじゃない。
 
幼い頃は誰もがルールや常識に縛られない分、そんな疑問を持っていたはずだ。いつしか、それを忘れてしまっただけで。



ただ、彼女はそれを忘れずにすんだ。

家の外では納得できない「なんで?」を、家では母が受け止めてくれたから。

家出したり、喧嘩したり、夜遅くに帰ったり

えるには、小学生の終わりから高校に入学するまでの記憶がまばらにしかない。

小学6年生の時、長い闘病生活を送っていた父が亡くなった。

母は1人で3人の娘を育てなければならなくなり、仕事で夜も遅かった。



その当時のわたしは家出したり、喧嘩したり、夜遅くに帰ったりしてて。家にいないことも多かった。寂しくはなかったけど、家族にはそんな風に見えてたみたい。

反抗期だったんだよね。なんかずっとイライラしてた。母に舌打ちしたり、八つ当たりしちゃって。そのあと1人で泣いたりして。

中学校には数日しか行かなかった。行く意味がないと思ったから。

いろんな感情が頭のなかで渦を巻いて、気持ちはいつもふわふわしていた。



母は「寂しい思いをさせてたね」ってポロポロ泣くの。でも、父に先立たれて、1人で家族を守るために必死で働きながら、遺品を整理したりって、いま思うと尊敬しかない。

それに、いい意味で放任してもらったからこそ、自分で決断できるようになって、それがいま強みになってるから…ほんと、気にしなくていいのにね。

いまファッションの仕事をしてるのがすごく不思議

不登校に専念した中学時代と打って変わって、高校にはほぼ毎日通った。

自由な校風が合っていたし、軽音部の仲間と音を鳴らすのも気持ちが良かった。

卒業したあとは大学に入学してみたけれど、ぜんぜん向いてなかったから2ヶ月で辞めた。



そのあとは美容室で働いたり、バンドをしたり。しだいに音楽の世界にのめり込んでいって、漠然と、音楽に関係した仕事をすると思ってた。

だからいま、ファッションの仕事をしてるのがすごく不思議。

特に母は企画を考える人になると思ってたんだって。まあ、実際にいまやってるのはそれに近いから、よくわかってるよね。



古着屋でファッションの仕事も経験した。

でも、売り上げをつくり、実績を出して出世する。そうした雇われ仕事は、明確に向いていないと感じていた。

その後、大手アパレル企業のフォトグラファーとして働くことになったのも、相手側から誘われたから。偶然だった。

だけど、えるの「なんで?」癖が、彼女をただのフォトグラファーにとどまらせなかった。



延々と同じ構図で撮らなければならないECサイトの撮影ルール。

モデルとのコラボ商品企画での制約条件。

いろんな不条理に「なんで?」と素直に声を上げた。社内は毎回ざわついた。

けれど彼女は、ひとつひとつ真剣に向き合い、変えていった。結果を出し、信頼を得て、責任ある仕事を任された。

そうしていつの間にか、新規ブランドの立ち上げを任されることになった。

まさか自分が、と、何度も断ったが、最後には「こんな機会に恵まれるなんて二度とないかも。これは運命なんだな」と覚悟した。

そうして「LEBECCA boutique」が生まれた。



すごく不思議な運命だよね。
 
ファッションの仕事に憧れて東京に来た母は、結局夢を叶えることはなかった。けど、その娘がいま、めぐりめぐってファッションの仕事をしてる。
 
でもね、母には、追いつきたいけどぜったい追いつけないの。

わくわくしちゃう、最悪な状況だからこそ



「LEBECCA boutique」のオリジナルアイテムには、ひとつひとつ物語がある。

えるの文章は人を惹きつける。それが唯一無二のブランドを創り上げていった。

最初に文章を書き始めたのは、たしか小学生の時。出し物の演劇を準備する時には、率先して脚本を書いた。

友達が絵を描いて、えるが脚本を書く紙人形の小さな劇団をつくり、その成果をたびたび母に披露していた。母との交換日記も書いていた。



小学生の時に書き始めた文章も、抱えた「なんで?」も、誰かに話したいことも、いつも一番に受け止めてくれたのは母だった。

どんな時でも自分のことを受け止めてくれた母がいたから、その感性は伸び伸びとしていった。

だから、誰かにとっての些細な出来事も、彼女にとってはドラマのはじまりになる。

なにが起こっても、これは未来への伏線だとわくわくしてしまえる、ある種のポジティブさが彼女にはある。



イベントが中止になったり、失恋したり、最悪な状況なんてよくあるけど、わたしは人生の振れ幅が大きいほど素敵な表現が生まれると思ってる。
 
だから、「ここからどう切り返そうか」って考えるとわくわくしちゃうんですよね。 ほんとわるい癖(笑)

いつかちゃんと聞きたいから



えるは、たびたび母を外に連れ出す。

2人の時間をつくって、昔できなかった話がしたいから。いつかちゃんと、母から自分がどう見えているのかを聞きたいから。

今度は2人でパリに行く。理由はあるトラウマ。反抗期の頃だった。



仕事で疲れ切った母がフランスを特集したTV番組を観ていて、丁寧にメモを取ってたんだけど、「なにそんなの観てんの? 仕事にも関係ないし。意味あんの?」って言っちゃって。

母はそっとテレビを消して黙ってしまって、わたしも部屋を出ていくしかなくて。すぐに後悔した。すごく泣いた。

でね、5年前に「パリに行ってみたい」って言われた時に、「あ、本当に興味があったんだ」って。母は私と違って願望を強く出す人じゃないから、しつこく行きたいところを聞いて、やっと聞き出せたのがこの一言。だから、パリ。

パリでの旅からも新しいものがつくれそう。その旅では母を通して、自分のことを知ることになりそうだから。



いまと過去を頭のなかで切り貼り組み立てる。そうしてできた物語を、服という形に落とし込んでいく。

えるは脚本家のように服を編む。

そんな彼女と母の物語。まだエンドロールは流れない。

互いを強く想いながらも、話せていないことがある。パリでそれは落着するだろうか。

彼女がいつか、「あのね!」って、綴った文字をワクワクしながら見せてくれる、そんな未来が待ち遠しくってたまらない。

MAKING

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POSTED

2020-04-05

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