いじっていいモデルこと、まつきりな。
ファンに「まつき!」と呼ばれるほどの親近感、シンプルかつ的確に答えてくれる恋愛相談。
そしてなによりその明るいキャラクターが、人を惹きつける。
アルバムにある幼い頃の写真はだいたい笑顔か変顔。根っからのお調子もので――。
でも、むかしは人見知りだった。いじめにもあった。
人間不信になるほどの挫折も味わった。

お調子者と人見知り
「まつきに会えば元気になる」
事務所のスタッフにさえそう言われるまつき。
SNSや配信で見せる姿も太陽のように明るくて、「ファンにはハッピー野郎って思われてる」。
でもそれは、ポジティブなところしか見せてないだけ。
ネガティブなことを言うのが嫌だから、してないだけ。
メンタルは本当にガラスなんですよ。弱くて。ちょくちょく泣きながら親に電話してるぐらい。
「岡山帰りてえ!」しか言わない時期が3ヶ月に1回はある(笑)
兄と妹にはさまれて、真ん中っ子の彼女はいつも家族の中心だった。
母と父がもめれば仲直りさせ、妹の“お願い”をそれとなく父に伝えた。
その笑顔と「むかしから口は上手かった(笑)」という話術を通せば、収まるべきところに話が落ち着く。そんな存在だった。
一方で、根っからの人見知りでもあった。
小学校ではいまひとつまわりに溶け込めず、友達はいたけれど、遊んでいるときにひとりだけ置いてかれることもあった。
シンプルにいじめられていた。
「おまえ耳でかいから変!」って言われて、必死に帽子で隠したり。
小3のときは「お前の髪ぐるぐるじゃん!」って、天パを理由にいじめられたりもしたなあ。
あ、勘違いが原因だけど、ヤンキーの男子に思っきり蹴られたこともあるんですよ! 岡山治安わりいんすよ!
まあだから、小学校にはあんまりいい思い出がなくて。
変わり目は小学4年生、いじめの理由にもなったくるくるの髪にストレートパーマをかけたこと。
まつきを見るまわりの目が激変した。
まっすぐな髪を手に入れただけで、自分をいじめていた者に好意さえ向けられた。
「この世は外見なのかって気づいた」。
あまりの変わりように怖さも感じたけれど、目の前の反応が現実。
それがわかったなら、もっとかわいくなりたい、そう思うのは自然だ。
少しずつ何かが変わり始めた。
いまもふたりの間にいる
中学1年生までは、あいかわらず物静かだった。というか人見知りだった。そして黙っていればモテた。
中学2年生になって、「クラスでいちばん陽キャだった子」と友達になった。彼女の明るさに引っ張られて、物静かでかわいい子、そんなイメージが過去になっていった。
だれにでも気さくに話しかける、いまの“まつきりな”につながる陽気なキャラクターが表になって、なんとなく始めたツイキャスの配信が人気になって、芸能活動も始めてみた。
岡山から東京や大阪へ行き来することも増えて、いろんなことがうまくまわり始めた。
でも、それと同時に反抗期が本格化して、家での生活は荒れていった。
“家庭崩壊”
という言葉がぴったりの状況になった。
家も自分も荒れてしまって、やりたい放題やってました。
お母さんがつくってくれた料理を粗末にしてしまったり、たたんでくれた洗濯物を蹴っとばしたり。
やらせてもらってた習いごとも「行きたくねえわ」ってぜんぶやめて。
あ〜お父さんもきらいでした。お母さんに当たるから。一緒に仕事をしてたから、夫婦の仲はどうしても悪くなっちゃうんですけどね。
まあわたしだって好きにしてたから、そのときお母さん、ほぼうつ病だったんです。
あのときほんとに苦労させたから、早く楽させたい。
いつの間にか反抗期は終わった。
経営者として会社を切り盛りしている父を、いまでは尊敬してやまない。
つらいとき、いつも電話するのは父だ。
「おれは最初のファンだ」って言って、2時間も3時間もはげましてくれる。
でも、しこりはたしかにある。
のちに両親は離婚した。
いまも母は父と言葉をかわそうとしない。溝はうめられていない。
ただ、その溝の中心にはまつきがいて、ふたりの間に立っている。
それだけはむかしと変わらない。
20歳で人生のどん底へ
高校を卒業して、短大入学を理由に上京して、事務所にも入って、芸能活動を始めた。
家には好きな人がいた。
一緒に上京してきた仲のいい友達もいて、それが世界のすべてだったあの日々。
せまくて居心地のいい空間につかるような日々。
ゲストで呼ばれたイベントにひとりしか客が来なくても。
でも、家に帰れば元気になれた。
ただそのあと、彼と別れて、事務所がなくなって、居場所が消えちゃって。
ひとりになって。フリーになって。
周りに頼れる人がだれもいないことを痛感した。
どれだけせまい世界に生きてたんだろう。しょうもない自分に腹がたった。
まあ、それがわかっても、現実は変わってくれない。
SNSではキラキラしたところを見せていても、お金はぜんぜんない。芸能界で生きると決めてたから就活もしてない。
このままじゃダメだとわかり始めていて、父には「帰ってきな」と言われた。
限界が近かったそんなある日、ふと、「なにか楽しいことないかな」と、お笑い芸人のライブを観に行ってみた。
お笑いが好きなお母さんが昔はたくさん連れてってくれたなあと思いながら。気晴らしできればって気分だった。
けど、これが衝撃も衝撃。
仕事でMCを経験していたから、彼らのトークや進行がどれだけすごいのかよく分かった。魅せられた。
舞台でかがやく彼らを尊敬し、同時に自分の慢心を思い知らされた。
彼氏と別れるわ、事務所はなくなるわ、まわりに頼れる人もいないわ、調子にのってたことが恥ずかしいわでほんと、落ち込みに落ち込んだ。
節目の20歳でどん底にいた。
“まつきりな”がはじまったあの日、あの夜
SNSを見てくれるフォロワーは万の単位でいたけど、それは数字でしかなくて、ほんとうのファンはどれだけいただろう。
「めちゃくちゃ人間不信だった」というのが、あの時の本音。
フリーになって半年。
その間にいくつかの事務所に声をかけられたけど、片手間な誘いだったし、自分だってモチベーションが死んでた。
いま所属してるFor youの代表・野田爽介のことも、最初はまったく信じられなかった。
そりゃもうまったく。
マジでどん底だったから、「人間は信用ならん」と思ってて。
だから野田さんに誘われたときも、「この人もダメだ。うまいこと言ってるけど絶対そうだ」って感じで。
うん、めちゃくちゃ失礼だったと思う(笑)
でもほんとうに熱心に誘ってくれるから、なんか気になって。
昼に話を聞いたんですけど、その日の夜に「いまから来れますか?」って呼び出しちゃったら、すぐ来てくれたんです。
バーで会って、カラオケ行って、ボウリングして、ほんと直感で「この人とやろっ!」って。
楽しかった。良い夜だったなあ。
どん底から一転、生まれ変わったような気持ちだった。
この出会いがなかったら、いまなにをしていたのか想像もできない。
“まつきりな”がはじまったのは、野田と遊びまくったこの夜からだってことは言い切れる。
「またいい女になる」
まわり道に遠まわり、いろいろあって大変だったけれど、いまはやる気しかないまつき。
これまでは明るいキャラクターと、ファンの質問にテンポよく答える気さくな性格が抜群に生きるライブ配信で人気を集めてきた。
これはツイキャスで配信していた頃から変わらない彼女の原点で、無二のもの。MCに起用され、ラジオのパーソナリティに抜擢されたのも、ここが評価されたからだ。
そしてその上で、そろそろ「次のステップに進みたい」という。
一緒に仕事するようになってわかったんですけど、プロってめっちゃ勉強してるし、楽しそうなんです。
そんなの見てたら、ぐだぐだ言ってらんねえなって。
演技もいままでは避けてきたけど、YPさんの『 純猥談 』は「他の人に演じてほしくない」って思って、だから挑戦してみました。
世の中に辛い人はたくさんいると思うけど、プロは「しんどっ!」って思うこともわくわくしてやってるんですよ!
ほんとメンタルがすごくて、みんなキラキラしてる。自分のことナチュラルにすげえと思えてる。
だからわたし、いまはメンタルをつくってます。
またいい女になるぜ…ふふ(笑)楽しみにしててね。