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「自分がかっこいいと思える自分になりたいんだ」しげくに屋 55ベーカリー・青木啓恵の生きる道

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ふんわりとパンの香りがして、思わず立ち止まる。
ふと、入り口に置いてある黒板が目に入る。
脚にスニーカーを履いている看板は、いまにでも歩き出しそうだと思うほど、静かに呼吸をしている。

高円寺の庚申通り商店街にある、『しげくに屋 55 ベーカリー』。

店内をのぞくと、キャップをかぶった短い髪が店の奥で揺れていた。
受け取った注文を繰り返しながら、てきぱきとパンをレジへと運んでいく。

店の外まで行列が伸びていようと、注文の数が多くとも、必ず目の前にいるお客様の瞳を見つめ、ひとりひとりに「ありがとうございます」と伝えている彼女は、しげくに屋を営んでいるの青木 啓恵(ひろえ)だ。

落ち着いたころ、手を振りながら声をかけると、彼女は笑顔で“いつもの言葉”を言った。

「一服、していかない?」

その前に、と、店のとなりにある当たり付き自販機に移動して、彼女は小銭をいれた。

「最近、なかなか当たらないんだよなあ〜」

ボタンを押して、あと1ケタで“当たる”数字を見つめながら、彼女は笑った。

そうして彼女は、缶ジュースを片手に、喫煙所へと向かう。



関わってくれるみんなの幸せを目指して

道を歩けば、いろんな人が「啓恵さん」と手を振る。
遠くにいる友人にもいち早く気づき「元気?」と声をかけにいき、立ち話がはじまる。





取材中にも、何度もそういう場面に遭遇した。「ちょっといま、取材を受けているんだ」と彼女が話すと、快くツーショットを撮らせてくれた。

しげくに屋 55ベーカリーは、今年でオープン24年目、武蔵境から高円寺に移転してからは9年目を迎える。

友達がお店に来てくれたらそのままおしゃべりにいくこともあるし、休むのも全力だよ。そのとき一番やりたいと思ったことを選んでいる感じかなあ。楽しいと、どこでも踊っちゃうし。「5歳児みたいだね」って言われたりもするくらい(笑)。



でもね」。ひと呼吸置いて、彼女は言う。

友達といるときの私はいつも笑っているし、元気だけど、しげくに屋の私”がいて、はじめてそういう私になれるの

そうして静かに、彼女はしげくに屋オープン当初の話を語り出した。





「手に職をつけたい」とパン屋で働いていたてっちゃん(『しげくに屋』の協働オーナー)と出会い、彼の独立をきっかけに一緒にやっていこうと決めたころ、彼女は23歳。ふたりともまだ修行中の身だったと、彼女は振り返る。

いまでは行列ができる人気店だが、開店してから10年ほど、パンが売れない時期が続いた。それでも、相方・てっちゃんのことを信じ、ここまできた。

当時は「来月の家賃が払えないかも」「住む家もなくなるかも」という不安でいっぱいだった。でも昔から、根拠のない謎の自信はあったんだ。だから、休日にはふたりで雑誌に特集されるような人気店に車で行って研究したの。美味しいパンに出会ったら「なんでこんなに美味しいんだろう」と考えて、実践してみる。そうやってパンづくりを続けていたら、どんどん美味しくなって、“本当の自信”が身についた。




「どうにかしなきゃ」という思いからたどり着いたのが、青山で行われているファーマーズマーケットだった。土地も客層もがらりと変わる、彼女にとって新たな挑戦の場所だった。

すると、出店をきっかけにパンが売れ始めた。そうして、結婚式場、レストランなど、あらゆる場所でパンを販売し、活動の幅を広げていく。彼女が、ひとつ目の逆境を乗り越えた瞬間だった。



彼女は「友達から『あなたは逆境のときに本気が出るよね』と言われたことがあるんだけど、たしかにそうかもしれない」と、自身を振り返る。

『悔しい』『なんとかしなきゃ』という感情が私の“バネ”になってるんだ。いつも全力だけど、あのときが最初の本気だとすると、あれから10数年経ったいまが2回目の本気かな。ここ2年くらい、スタッフが減ったり、価格改定をしたり……。当時よりも、いまのほうが戦い方がまた一段レベルアップしたような、そんな感じがする。

“最初の本気”のときは、店の経営を維持することを第一に考えていた。それを乗り越えてからは、また考える基準がひとつ上がった。


ジャンプできるのは、しげくに屋があるから


過去は、あんまり振り返らないなあ。

彼女は過去の逆境と現状とを比較しない。ただしっかりと、前を見据えている。

いま彼女の頭のなかにあるのは、スタッフやお客様など、関わる人たちのこと。



売り上げやシフト調整はもちろん、美味しいパンを作ることも欠かせない。けれど、何よりもみんなにわくわくしてほしいと考えている。

しげくに屋に来てくれる人たちのことを、いっぱい刺激したい。てっちゃんは“食”のほうで、私は、“感覚”で。うまく言葉にできないんだけど……「うわっ、たのしー!」「すごっ!」「やばいっ!」って、テンションをあげてもらえたら嬉しいなって。だから、店内のBGMもガンガンかけたいし、おもしろいことをたくさんやっていきたいな。


「たくさんのお客様に最高なパンを食べてもらいたい」「しげくに屋を楽しい場所にしたい」という気持ちを前提に、“関わってくれるみんなの幸せ”を考えているのだ。

定休日を週に一回に減らしたり、Podcast『パン屋のタネ』でパンづくりの想いを自身の声を通じて発信したり。彼女は、高円寺に根を張ってもなお、新しい挑戦を続けている。



最初の本気のときに試行錯誤を繰り返したからこそ、「次のフェーズは自分たちのパンと向き合うことだ」と思えた。

その成長速度は、とどまることを知らない。

パンと向き合い続けてきた彼女は、高円寺をはじめ、さまざまな場所で出会った異業種の人に、てっちゃんは、パンをつくるには欠かせない農家や生産者に興味を持ち始めた。

小麦農家や生産者に積極的に会いに行き、しっかりと信頼関係を築いていく。



広い大地を揺れる小麦を見つめることもあれば、小麦が収穫されたあとの、“まだ何もない”時期に足を運ぶこともある。どんな時期にでも対話を続け、お互いを知っていく。パンづくりをするなかで一貫して大切にしているのは「関わる人たちの想い」なのだ。

「この人のつくっている小麦を使いたい」「美味しいパンを届けたい」「働く人も、幸せになってほしい」……。その想いを胸に、日々真剣に、手を、足を、頭を、心を動かし続けている。そうして、パンへの想いも強くなっていく。

お店のことになると、いろんなことをしっかり考えられるし大人にもなれる。どの私も、私なんだ。

“しげくに屋の啓恵”がいるから、仲間たちとの時間も楽しめる。パンを買いに来てくれた友人と休憩がてら一服しにいったり、電話をしたり、夕方に近づくにつれ少しずつ店内のBGMを上げてみたり……。遊び心にも思いっきり、全力で向き合えるのかもしれない。



私も幸せで、自分の周りの人も幸せなら、すごく嬉しい。でも、それはきっと、全員には難しいことで。好きな人に好いてもらえたら、それだけで幸せなんだ。だから好きな人に返そう、って思える。返すと言っても簡単だよ、笑顔で一緒にいるだけ。相手を傷つけないようにするだけ。


唯一無二の味方は自分


2021年8月。彼女は、人生ではじめての手術を経験した。

どんなときにでも、しげくに屋のことを一番に考える。だからこそ、自分がいなくなることでスタッフに負担をかけてしまうのではないかという不安もあった。けれど、仲間に相談しながら自身と向き合い、入院を決意した。



過去最高の夏だった!

退院後、彼女はさわやかな笑顔でそう言った。
その表情には不安はなく、手術後だということが信じられないほど、輝いていた。

麻酔を打ったあとはすぐ眠っちゃうから、手術が終わって目が覚めたときには病室にいて、「何これ!? タイムマシーンに乗ったみたい!」って、真っ先に思ったの。「記憶がないところでお腹が(手術で)切れてる! さっきまでできてた寝返りが打てないじゃん!」って(笑)。

入院中の楽しみは、ひとり遊び。“ティッシュクリエイト”と称してティッシュを丸めてタバコみたいにして遊んだり、部屋を真っ暗にして夕方から夜にかけての時間を楽しんだり。空を見るのが好きな啓恵は、その日の空模様にあわせて音楽をセット。夜はディープな曲をかけて、個室でひとりDJを楽しんだ。



術後の痛みも、日頃の痛みも、「私にとっては大切なもの」だと、彼女は言う。

経験したことのない痛みを、しっかり覚えておこう。
つらい想いをしている私は、もうひとりの自分が見てもかっこ悪い。
自分が自分を傷つけていると気づいたら、幸せなことを見つける……。




もちろん、生きていると不安はあるよ。あるけど、それはずっと続くものだし、「だったらどうしよう」って考える。そういうときのために自分の好きなものを増やすの。たとえば、ティッシュクリエイトとか、空を眺めるとか、サングラスをかけて音楽をガンガン流して踊るとか。手術をした次の日にはもう軽く踊っていたよ。笑うと傷口が痛むから、電話した友達に「笑わせないで!」と言いながらだったけど(笑)。

過去のことは振り返らない。それは、何もかもを忘れてしまうというわけではない。痛みも、喜びも、悲しみも、楽しさも、大切なものとして宝箱にしまう。それは、数年、数日、数秒で過ぎていく“いま”を、しっかりと受け止めているからこそできることなのかもしれない。




いま私のまわりにいるのは信頼できる人たちばかりだし、大好きなんだ。好きな人が自分のことを好きでいてくれて、一緒にいてくれるだけで、私からしたら奇跡。悩みや楽しいことを話せる人がいるって、それだけで幸せだよ。私はどんなことでもネタにしちゃうから「啓恵さんと会うと元気になる」と言ってもらえるんだけど、だからこそ好きな人たちを笑顔にできる自分でいたいとも思う。

取材中、彼女は相手のことをしっかりと見つめながら、自分の言葉を丁寧に届けてくれた。
嘘がないからこそ、真っ直ぐな言葉を受け取るこちらも「信頼してもらえているんだ」と思える。
「啓恵さんと会うと元気になる」という気持ちは、きっと、彼女のそばにいるみんなが抱いている。

それに、唯一無二の味方は自分だから。自分自身を苦しめなくていいし、楽しんでいきたい。もうひとりの自分がかっこいいと思える自分になりたいんだ。



POSTED

2022-03-06

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