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「いまはつくる文化をつくってる」映像で遊ぶ“愉快犯” YP、創作の原点

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MIYAVI・KREVA・三浦大知のコラボ楽曲「Rain Dance」、株式会社ポインティ「純猥談 触れた、だけだった。」、水溜りボンド・カンタ 「猿でもわかる」など多岐にわたる界隈を横断しながらクリエイティブをつくるYP。

当時最年少のTVCMディレクター(20歳)としてを手がけた森永乳業「リプトン 夢を追いかける人編」も含め、その実績が評価されて、Forbes JAPANの“NEXT UNDER 30”にも選出されている。

また、コミュニティ「YP映像大学」を主催。「映像で遊んで暮らす。」という信念の下に映像のつくり方をメンバーと模索している。そしてその創作は、常に“自分が楽しいことから始める”という思想からはじまっている。

きっかけは、古ぼけた母のカメラ



僕の育った環境って凡庸なんです。両親がクリエイティブな職業だったわけでもなく、そういう環境が身近にあったわけでもないから。

だから大手広告代理店の局長とか、音楽家とか、映画監督とか、そういう家庭に生まれたって聞くと、出遅れてるな〜って思う。逆にコンプレックスになってよかったとも思うけど。

そんな彼を創作に向かわせたのは、使われず押入れに置いてあった母のカメラだった。

中学生のときに、小さく機能も充実していない、ちっぽけな古いカメラを手にしたことで、すべてがはじまった。



そのカメラで友達と一緒にB'zのパロディ動画を撮影したんですけど、これを友達に黙ってYouTubeにアップしたんです。これは「お前いま世界中に公開されてんで」ってボケだったんですけど、いろんな国からコメントが来るぐらいウケて。

それまで地元の友人や家族しかコミュニティがなかったんですけど、インターネットを通じて、世界中の人に自分の声が届く感覚がしたのを今でも覚えてます。これは今の活動の原点になっている出来事だったなと思います。

なんか面白そうだからやってみた。それが誰かのためになっていた。

文字にすると、たったこれだけのささいな出来事だ。



しかしYPはこのサイクルの虜になってしまった。そしていまもそれを楽しそうに続けている。

「次はなにを仕掛けてやろう?」と常に考えているその様子は、“愉快犯”という言葉がぴったりくる。

愉快犯、高校生になる。



高校に入学すると、教科書をすべて電子化してiPadで授業を受けていたこと。

勝手に思い出を詰め込んだムービーを作って、学校のオフィシャルムービーにしたこと。

カリキュラムの穴を突いて、教師から必修だと聞かされていた数学や英語などの5教科を履修しなかったこと...ほかにもさまざまなことで学内を賑わせた。

これはどれも職員会議の末に問題はないとされ、カリキュラムに関しては教師すら気づいていなかったルールの不備を指摘した形になり、その内容を変えさせたという。



こうした出来事から、学内で“変な奴”として知られていたYP。

しかし結果的に生徒会長でもない彼が生徒を代表し、答辞を読み卒業した。“変な奴“は、学校に認められて正しい奴になってしまったのだった。

これが愉快犯を助長させることになる。



別に孤独じゃなかったけど、なにかを一緒にやる友達はいなかったな。

そうした境遇のなかで、YPはYouTube上に音楽番組をつくって公開するなど自主的に活動。

その出演者のなかにはあいみょんもいて、彼女は番組への出演をきっかけに現在の事務所から声をかけられている。



そんな出会いもあった高校時代を終えて、京都造形芸術大学に入学。芸大ということもありクリエイティブな仲間と授業に恵まれた。

特に大学の正式なパンフレットをつくる授業と、ねぶた祭りを開催する授業を通して、クリエイティブの面白さを知ることになる(このときつくったカップヌードルのパッケージを模したねぶたは、横浜のカップヌードルミュージアムに展示されている)。



そして「作ること」の本質に近づいたYPが、更なるクリエイティブを行うために選んだのが映像だった。

彼は大学を飛び出し東京へ。映像制作を本格的にスタートさせる。

月に5本以上のMVの制作を引き受けつつ、ふいに巡ってきたリプトンのTVCM制作のチャンスをつかんだのはこの頃だった。

西武新宿線、沼袋駅の風呂なしアパートで全国放送される映像をつくった日々のなかで、彼はいまの活動につながる“遊ぶ”ことの重要性に気づき始めていた。

映像がしたいなら、まず遊ぼう



YPはよく“遊ぶ”というワードを使う。

自身が主催するコミュニティ「YP映像大学」のメンバーにも、ことあるごとに遊ぶことの重要性を伝えている。



映像を最初から仕事にするのは本当に難しいんです。仕事は誰かの価値を背負うことになるから、価値を映像で拡張するスキルが要る。でも最初からこのスキルを持ってる人はいないんです。

だからまずは自分を拡張するスキルから身に着けようということで、遊ぼうってことになるんです。最初は自分自身の価値を拡張する遊びから映像をつくるべき。

じゃないと、誰かの価値を拡張するなんてできないわけです。自分の遊びが溢れた時に、たまたま誰かの役にたった。仕事にするにはそれくらいじゃないと消耗する。



「映像で遊んで暮らす」ためには、それぐらい遊ばないととても叶わない。遊びが仕事になって、仕事も遊びになる。

もちろんそうじゃない時もあって当然だし、しんどい時も、その環境によって成長できるから耐えるべきこともある。けど、毎回なにか新しい遊びをつくり続けないと、映像が自分を殺すこともあるからね。



そもそも映像をやらなくたって人間は生きていけるんだから、そこに喜びがないと続けられないよねって話でもあります。

YPはそう話すが、これはあらゆる仕事に通じる言葉だろう。

観る時代、学ぶ時代、つくる時代、遊ぶ時代



Netflixやストリーミングサービスの台頭で、手軽に楽しめるコンテンツが溢れているいまだが、「受動的なコンテンツって豊かじゃないなあと思ってます」とYPは言う。

映画を観た感想を言うより、自分のつくった映画のことを話す方がぜったいに面白い。いまは観る時代から学ぶ時代になりましたよね。これからはつくる時代になる。そして遊ぶ時代になっていく...その時代の流れのなかに映像もカッコよく存在しててほしくて、コミュニティを立ち上げたんです。

いま僕はつくる文化をつくってるところ。実際につくる時代、遊ぶ時代になったときに、映像クリエイティブがその中核を担う存在でいられるようにしているところなんです。



傍観者より当事者であれというのは、YPが常に実践し続けてきたことでもある。

カメラを手に取り、B'zのパロディ動画の思わぬ反応に火をつけられて、それからずっと手を動かしてきた。

志を同じくする仲間と制作に励み、つくり上げた作品について話すことがなによりも豊かなことだと実感した。

“映像で遊んで暮らす”という言葉の裏側には、膨大かつ緻密な積み上げの連続がある。楽なことなんてひとつもないけれど、そこにある豊かさの本質を知っているから映像を続けられる。



YPは、いまも昔もB'zのパロディ動画をつくった時と変わらない。

あの時に知った喜びを忘れられないから、今日も明日も仕掛け続ける。

そのスケールは、いつのまにか多くを巻き込みつつ、着実に大きくなっている。でも、その根っこは変わってない。

なにかを思いついては「これぜったい面白いやんけ」って楽しそうにしてる、彼はそんな愉快犯のままなのだ。

MAKING

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POSTED

2020-03-23

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